日没

東京はクリームソーダの街らしい

東京の春とは

ふと「飴たべる?」って聞いたり、あげたりしたいから。飴が苦手な人がいるなんて思ってなかったけどあの子は苦手だって言った。これは忘れてはいけないこと。いつかの冬の散歩道でみたプラタナスの実やひこうきや、やきいも。鳩が枝の先にとまって遠くを見つめていることを心配して、無意味すぎるね。こんな話もういいじゃないか。雨が降って散って、もうすぐ季節が変わる。しまっておこう、箱の中に全部。その中に君も入れる。

喫茶店に入ると6人組のお客が騒がしく談笑していた。わたしはいつも窓際の席に座るけれど今日は距離をとるために奥の席に座った。水を持ってきたマスターは笑顔で、「かなり賑やかですけど。」と言った。わたしは「ですね。」と答えた。

車窓から見えるあの丘にたつ木は桜で、なぜか半分だけ白い花をつけているのが遠くからでもしっかりと見える。電車の座席は空いていたけれどわたしは窓際に立って、その桜の木を見つめながら、Spangle  Call Lilli Lineを聴いている。

喫茶店で焼きそばを頼んだのは初めてだった。お腹が空いていた。やがてブレンドコーヒーが運ばれてきて、マスターがまた言った。「電話きてから静かになったね、怖い人でも来るのかな。」わたしは笑った。

長い下り坂と巨大な団地が、誰もいない世界を感じさせる。目の前から杖をついて歩いてくるお爺さんが、この世界の人でないことを祈ってみたりする。お爺さんのつく杖の音が巨大な団地に反響してさらに世界の心地を歪ませたので、わたしは祈るのをやめたよ。

絶えずお客がきて、マスターは忙しそうだったが、優先順位をきちんと把握していて動きに無駄がなく、それでいて落ち着いた静かな所作だった。スプーンの微かなカチッカチッという音で、お客さんの頼んだカレーの残りをカウンターの奥で隠れて食べているのがわかった。マスターはカウンターから出て席に行くときは必ず観葉植物の葉っぱに体を触れて歩いた。さらさら、とした音がとても心地よく耳に響く。この喫茶店の空間が、そんな些細な音に守られている気がした。珈琲は冷めてもおいしかった。

信号は少し待てば渡れたけど、わざと遠回りをした。あの向こうから歩道橋の上まで舞い上がったそれを「雪みたいだね。」と何の迷いもなく少女は言う。

 

パラダイス

ここ2ヶ月程で撮った写真、Twitterでたまにやってる『わたしが撮る写真なんてこんなものですよシリーズ』が溜まってきたので並べてみた。これらの写真選定には自分の中でおおまかな軸があって言葉で言えば、喧騒と閑静の狭間のような空間、穏やかで柔らかな時間の流れなのに哀愁や違和感が身を潜めているような、そんなようなことを勝手に感じた写真たちである。ちなみにシャッターを切るときは夢中なのであまりそのような意識はない。家に帰ってきて整理編集している時に初めて意識するくらいだ。なので捉え方はどうであれ、わたしの撮りたい写真はこんな感じということが伝わったらそれでいいと思っている。

 

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ためいき

ブログを書きたいんだけど、書きたいことがない。というか、何もしてないから書き留めておきたいことも誰かに伝えたいこともないし、何かに腹を立てることもないし。することと言ったら翌朝食べるパンを買うことと、何でもない写真を撮ることくらいなのだ。。

家から20分ほど歩いたところにあるこの辺りだとわりかし有名なパン屋さんに行ってパンを買ってみた。イチジクと胡桃のコンプレ。コンプレという言葉がなんだか全く分からないが、しっかりと焼き上げられた表面が香ばしく中身は湿り気が少ないのにもっちりとしたパン生地だ。イチジクと胡桃が本当にごろごろと入っていて、クリームチーズなんかをつけて食べたら最高だろうと思う。 家から5駅先のところにあるパン屋さんは以前その付近でバイトをしていたときに毎日のように通っていた。なかなかの都心部にありながらもその外観や商品パッケージは昭和のデザインそのままで、その雰囲気込みでとてもお気に入りだったのだ。中でもスイートブレッド(ほんのり甘い食パン)はそのままちぎって食べるのが美味しい。1斤買ってぶらさげた袋にその重さを感じながら帰るのが好きだった。 通っていた中学校のそばにあるパン屋さんは道路のちょうど角に立地している。お肉屋さんのような横長のショーケースに並ぶ惣菜パン。こしあんぱんを買ったら「まだ熱いのでビニールの口開けときますね」と言われた。翌朝食べるために買ったはずのこしあんぱん、できたてという誘惑に勝てず半分食べてしまった。あの、結露したビニールの内側がたまらなく好き。散歩帰りにこの前寄ったときは夕方でもうほとんどパンがなく、かろうじて残っていたひとくちあんドーナツを買って近くの公園のベンチで食べた。少し固かった。 住宅街にひっそりと佇む和菓子屋さんみたいなパン屋さん、強気なおばちゃんから買った胡椒が効きすぎたヤサイパン。気になる喫茶店の向かいにある看板がぼろぼろなパン屋さんで買ったラップぴちぴちの太ったイチゴサンド。柔らかなおばあちゃんがいるパン屋さんでよく買う90円の蒸しパンと100円のチーズドック。大きい池のある公園に行く途中にあるパン屋さんで買った、家で手作りした生クリームを隠れてたくさん食べるような、たっぷりの生クリームの上に缶詰のみかんがひとつ乗っただけのパン。

なぜだろう、美味しいパンはもちろん美味しいけど、あまり美味しくないパンもなんだか好きになってしまう。いつも思っていたより少し多めに買って、帰り道に袋からだして食べながら歩く。頼りない左手の中指だけで支える袋が、揺れる。

 

記憶

・8月

線路沿いの神社が隠れ家だった。お社の裏の縁側のようなところに腰を下ろすと目の前には線路があって、電車は2.3分おきに通り過ぎた。長いことそこで何をするでもなくぼんやりしていたが、やがて手持ちぶさたになって古本屋で買った江國香織の「なつのひかり」を読んだり、「16時54分のすべて」という曲を聴いたりしていた。2時間ほどそこに居たがその間お参りに来たのは2人だけだった。電車は何本通り過ぎたか憶えていない。時折上のほうからパチッと音がして、地面にポッと叩きつける音だけが響きわたった。何かの実のようだ ということだけが分かり、空はずっと曇っていて、夏とは思えないほどの寒さだった。

“  とじた夏を囲む文庫本

 青春の残り香を吸った

 17才のまどろみの果てには

 嬉しさも悲しさもない  ”

憶えてしまった歌詞、ビニール傘片手に15時24分。

 

・9月

車屋でつまらなそうに働く少女が花に水をあげていた。外は夏だった。8月の日記をひとつも描かなかったことをすごく後悔している、という書き出しでブログを書いていたがそれすら書き終えることができず、ベランダの朝顔は呆気なく枯れた。見たことがある景色が急に音をたてて煌めいたり、見たことがないはずの景色が妙に懐かしく思えたりすることはきっと誰しもあることだって思うんだよ。夜のどこまでも続く地面も、何物かも分からない大きい電波塔も、さっき降った雨で湿ったはずの茂みも。

“  ここは楽園じゃない

 だけど 

 描ける限りの

 夢の中  ”

甘くした海水みたいな味がするサイダーを飲みながら泣いた。誰もいないね って何回でも言いたいよ、信号を待つ君に。

 

・10月

朝起きて電車に乗る。扉のほんの少しの隙間から漏れる強烈な朝日を美しいと思う。線路に反射する光は魚みたいに追いかけてくるから、わたしは、わたしは。

“  秋口の風が愛しいくらい

 そして むなしい

 朝が来て

 おだやかなままでは いられなくなって  ”

遅れる電車。音のない耳。空っぽの切符。

 

・11月

昔々のことだけど、兄ちゃんによく数学を教えてもらってた。わたしの部屋まで呼びよせて隣に座らせて半ば強引にだ。兄ちゃんは数学が得意だったし図を描いたりして教えるのがとても上手かった。力を抜いてスラスラ薄く描く兄ちゃんの字は、なんだかすごく好きだった。たったそんなことが、忘れられないでいるな。

“  遠くなる

 遠くなる

 だけど

 ひきよせる  ”

 

midnight

右手首につくってしまった火傷の痕がなかなか消えない。1ヶ月くらい経っただろうか、治ってもいい頃なのにまだうっすらと残っている。不思議とぼんやり眺めてしまって、頭の中でその点と点を結んでなにかの星座みたいに見えるなぁなんて思ったりして、そうしてるとなかなか消えないこの痕もまぁ悪くないなぁと思えた。この形は何座に似ているんだろう。星座のことは何にも分からないから、勝手に名前をつけようかな。憶えていられるように名前をつけたり言葉を綴ったりすることって自然な行為だと思うけど少し身構える。昔から名前をつけるのがとても苦手だった。そういえば大学に行く途中よく逢う野良猫たちにもいい名前がつけられなくて、いつしか名前をつけるのをやめてしまった。わたしの中ではあの子たちには名前がない。それでもまた会う時まで憶えているよ。そしてきっと、あの猫たちにはたくさんの名前がある。世界が明日終わってもどうでもいいみたいな眼をした君にぴったりな名前が。

7月20日、朝顔の苗を植えた。色違いの5つの朝顔。小学生の時に育てた朝顔は何色だっただろうか。曙、紅、藤娘、残月、雪。ベランダに色とりどりな朝顔が咲き乱れる様子を想像すると少しワクワクする。丁寧に育てたい。

今日は海の日だったらしい。

デイ・ゴ—・バイ

今日が何月何日なのかも分からない。手帳に予定を書き込むこともいつしかしなくなった。ネットで見かけていたとても好きな呟きをする人が居なくなって何ヶ月経ったかも忘れてしまった。坂道の向こうの踏切を越えたところにいるから、傘を持って待っているよ。 青が溶けた水溜まりで足を洗って、突然の風に髪が乱れたって手の中の花が落ちてしまったって気にしない。だって、今が何なのかも分からないんだから。

君が好きな曲をたくさんたくさん聴いた。どれも映画のエンドロールを想像してしまうような曲ばかりだった。どうしたってこの時がずっと続かないってこととか色んな瞬間が積み重なっても変わってしまう気持ちとか、そんな物思いにふけてしまう自分がいていつもほんの少しだけ哀しくなる。音楽を聴いたって写真を撮ったって何百回と気づくこと、それに気づかないふりをして何故ひたすら終わりに向かうのだろう。時間がないし時間がないし時間がない。それでも、「エンドロールには早すぎる」

最近この曲をずっと聴いています。それでは、

 

破れた街

夕方、新宿に向かう。いつもの靴と好きなバンドのTシャツを着て。煙草が充満している喫茶店は天井が低く感じたし、青地のベロアと思っていたソファが実際はなんてことない色のソファで落胆した。頭の後ろから聴こえる心地好い音に耳を澄ませて何かの音に似ていると感じていた。今何かに触れたり見たりすると感じる「あの頃と似ている」という感覚と、子供のころに何かを見つけて感じる「あの時と同じ」という感覚は近いようですごく遠く思える。珈琲豆の焙煎の音は、さざなみと似ていた。あれは確か去年の今くらいに行った鵠沼海岸、その時のさざなみの音。なんだって過ぎ去ったことは忘れた頃に似たような姿で現れる。それでも珈琲豆の焙煎の音がさざなみに聴こえたのは、お店に居る間最初の一回きりだった。同じ気持ちを持ち続けられなかった。また似たような気持ちに出逢うまで、1年、10年。青い看板を背に、日が暮れていく曇天の破れた街を見下ろした。