日没

東京はクリームソーダの街らしい

(2017 is...)

2017年新譜以外のもので好んで聴いていた楽曲 アルバムをまとめました。今年はひとつ選ぶとしたらJulien Bakerだったと思います。わたしの人生の、心の名盤に加わった気がしています。

 

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Julien Baker『Sprained Ankle』

友達だと思える人もいなくて 信じれるものをただただ探して 自分が普通でまともで特別だと思い込んで 不器用で何もできなくて自分が嫌いで 信じたはずのものも嫌いになってやりたいこともなくて時間は過ぎていって たまに音楽に救われて。21歳の女の子のエモさに いつかの自分が一心同体状態になってこみあげてくるものがありすぎる。彼女の歌声、ギター、ピアノ、佇まい、仕草。哀しげで、その擦れていないヒリヒリとした何か。理屈とか音楽的な素晴らしさとかそういうんじゃないんだよ。彼女の灯火はとてもとても儚いけれど、強くて美しい。。最後の「Go Home」という曲、レコーディング中ラジオ波を偶然ひろってしまって入ったという宣教師の声が脳裏にこびりつく。帰ってもやることはないのに「帰りたい」と思い続けて、夜にひとりでラジオを聴いていたあの頃の自分がフラッシュバックする。彼女の歌が尊く思えることで、あの頃の自分を肯定できる気がしています。大袈裟ではなく、出会えてよかったです。余談ですが Julien Bakerちゃんがピアノで弾けるようになった最初の曲がデスキャブの「What Sarah Said」だったというエピソードだけでもう、泣けます。。

 

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小沢健二『LIFE』

意図せずとも数曲は耳にするものだけど 数年前初めて小沢健二の『LIFE』を聴いたとき特に過剰な高ぶりはなく自然に聴かなくなってしまった。そのあと偶然耳に飛び込んできたのはいつか風邪をひいて寝込んでいるとき、昼間のラジオから流れてきた「愛し愛されて生きるのさ」で。その時えらく感動したのを憶えている。《言葉は都市を変えてゆく》という見出しの新聞を、別にちゃんと聴いてるわけでもない別の時代の人の言葉を、無性に読みたくてドキドキしてしまったし「流動体について」の歌詞をみて、本当に分からないけれど涙がでた。ただ単に話題性に流れているだけ というのが一番考え得るものだけど、『LIFE』を改めて聴き直してみて それだけじゃない気がする という思いでいっぱいで…つまり胸がいっぱいになってしまった。他のアルバムも借りて今年は小沢健二をよく聴いたんだけど、今のところ好きな曲ベスト3は「ぼくらが旅に出る理由」「神秘的」「天使たちのシーン」です。にわかなので見逃してください。

 

山下達郎「夏の陽」

今年はある事情で山下達郎をよく聴きました。その中でも一番感動した好きな曲です。1stアルバム『CIRCUS TOWN』に収録されています。わたしの知っていた包み込むような伸びやかな声と優等生なイメージではなく、曲中感情を剥き出しにするように《そうじゃないんだ 僕のいるのは》と叫んでいて、その一節だけで胸が熱くなってしまいました。ラストに向かうコーラスではサカナクションの「目が明く藍色」を彷彿とさせて(勝手に)その部分も胸が熱くなった。

 

Joni Mitchell「Both Sides, Now」

カルテット7話ですずめちゃんが弾いていた曲です。邦題が「青春の光と影」…。この曲を部屋でめちゃめちゃリピートして聴いていたら 無口な父に「この曲、いちご白書の曲だろ?俺はいちご白書が好きだったんだ。」と話しかけられた。あとあと調べたら、Joni Mitchellの違う曲だったけど。今度こっそりいちご白書を観てみたい。

 

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昆虫キッズ『さよならからこんにちは』〜全アルバム

今さら?ですよね、、すみませんでした。わたしが馬鹿でした。前からちょこちょこ聴いてはいたのですが、何故かちゃんと聴いてはいなかったバンドで。ディスクユニオンで偶然このLIVE音源を手に入れて聴いたんです。それでもう気づいたらその日のうちにネットで全アルバムを注文していました。こんな買い方するの音楽にハマりだした学生時代以来で本当久しぶりで、自分でも嬉しかったです。思いっきり息を切らして走りたいし、ただ大きな声で叫びたいし、最高な気分で踊りたい。全部したことないことで、いつか誰とも会えない日々を思って泣きたくなる。気持ちよくて気持ち悪い切実な青さ!掻きむしりたくなるようなメランコリー!!最高か!!!解散して随分経ってからこんな気持ちになるなんて…。《街は変わるけど いつもフルカラーで  僕も変わるけど 手を振るからで  街は裏切るけど いつもフルカラーで  僕も裏切るけど 手を振るからで》LIVE音源を聴いて一番感動した「FULL COLOR」がどのアルバムにも入ってなかったのも、思い出としてしまっておきます。涙

 

2017 is ... (songs)

2017年、楽曲単位でよく聴いた3曲です。本当によく聴いたと思います。

空が見たことないくらい薄紫色で、寒くて、足下が濡れていて、バスはなかなか来なかった。気づいたらあたりは暗くなっていた。コーネリアスの「あなたがいるなら」という曲について、何を語れよう。本当に不思議な気分になった。自分じゃなくて、この曲をひとりで聴いている"誰か"の様をとにかく想像していた。

 

今までtofubeatsの曲を聴いても特に好きになれなかったのだけれど、今年でた新曲たちがとにかく好きだった。ラジオでもよくかかっていて、一発で決まるキラーチューンな無敵感が最高だと思った。音に相反する後ろ向きな歌詞でふいに心がえぐられる。《何を得たのか分からない 取り出して並べてみたい  君と踊りたいしうまくいきたい 他のこととか別にいいよ》泣きながら踊ろう。

 

普通に名曲。。。以上

 

2017 is ...

今年も選んでみました。全然CDを買っていないしストリーミングもしていないので、選んだというより聴いていた5枚になってしまいましたが。あと今年の中旬に長年愛用していたiPodclassicが壊れて今だ悲しみに暮れています。それではどうぞ、

 

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橋本絵莉子波多野裕文橋本絵莉子波多野裕文

この2人が一緒になるとこんな胸が詰まる音楽が生みだされるのかという驚きと感動、そして素直に名盤と誇れる奇跡の1枚。ここにいるのに 知らないはずの景色が思い出みたいに蘇って、ここからどこへも行けないのに どこからか壊れていって、その果てへ。無垢な好奇心や切実な気持ちや郷愁が入り乱れる。

 

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Alvvays『Antisocialites』

渋谷タワレコの試聴機で聴いて、一瞬で心奪われてしまった。前半が名曲揃いでとにかく最高だけど、どこか荒々しくて青臭いところも好きだ。特に5曲目「Not My Baby」のイントロは全てを持っていかれてしまって、初めて聴いたときから、あぁ この曲わたしにとって特別な曲だ…と思った。

 

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Geotic『Abysma』

大学時代深夜から朝方にかけて終わらない課題をやりながら耳になじませ時間を止めるように聴いていたrei harakamiを彷彿とさせた。心地よい音しか鳴っていないのに 胸の奥ではざわめきが渦巻いて消えてくれない。閉塞した深夜の頭と澄んだ朝風が混じって、ほんの少し焦る。

 

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SuiseiNoboAz『liquid rainbow』

《今まで一度も傷ついたことなんてなかったような気がする》とにかく説明もつかないくらいわたしには全曲突き抜けて刺さりまくったアルバムでした。同志のような ヒーローのような 綺麗事のような 真実のようなエモーショナルが、泥臭い匂いを纏いながらも瑞々しく鳴っている姿は、何回聴いても涙がでてしまった。結局諦められなくて、信じてるものがある。

 

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LOSTAGE『In Dreams』

僕らは何かにすがらないと生きていけなくて生きていてもやりきれないことばかりで。でも LOSTAGEを聴くと何かにすがりついて やっと自分が立ててたってことに気づく。情けない話なんだけど。2018年、5月の渋谷で会おう。 

 

ユースラグーン

フラッシュバックってほんとにするんだなって知った。記憶がこう。それで思うんだけど、時々 風と話したい。好きなフルーツすら答えられないから。だから今年も 夏の音をまとめました。

今しかやれないこともあるけどあの子に声かけず泣いて帰るしずっと繰り返してく一日は言葉だけじゃなにひとつつまらなくて気づいたらこのまま休み終わって セカンドサマーオブラブは失っては蘇る。今更になって発表されたMVがそれはもう最高だった。強い光、ずっと続いてく1日。

本当はおかしくなってみたかったんだ。何も咎めず怒ったり泣いたり叫んだり踊ったり。こんなに軽やかで穏やかで気持ちのいい詞とメロディなのに どうしてこんな気持ちになるんですかね。《運命の山百合 花かざりを飾ろう 日が暮れてしまうまで》この曲を何百回か聴いたあとでいつか誰かに 可笑しいね って言いながら笑ってみたいな。

なんだか悲しげな曲だと思っていると途中から引き返せないくらい温度があがってきてエモほとばしってきて感情がよく分からなくなります。このエモさと気怠さと共にここじゃない何処かへ行って そしたら、どこまでも行ける気がする。

ぐちゃぐちゃにねじ曲がった日陰の気持ちばかりな自分でも、切実で真っ直ぐで痛々しいくらいな眩しさが 日向につれだしてくれる瞬間がある。《このまま時間が止まればいいのにな ふと僕は寂しくなってしまったんだ  名前を呼ぶから こっちへ来てくれよ  涙が溢れて前が見えなくなってしまった 恥ずかしいほど君を愛してる》情けないくらい美しくて困る。

顔を両腕で覆い隠して多分泣いている女の子に、このWild Cubの曲は遠くから近くから降り注いでいて。わたしにはそんなこと無理で到底近づけなくてまるっきり違うと思いながらも、その強さと刹那に惹かれて泣けてきちゃうよ。

誰にも会ってはいけない気さえした夏の暑い日々で、毎日買っている飲み物は売り切れていたり、帰って部屋に入ったら吊してあった花は床に落ちて散らばっているし、雨上がりの夜の芝生で知らぬ間に靴が濡れて、声や言葉が消えて、夜が長く感じるなんてありきたりなことを悲しんでいた時、ラジオから流れてきたのはこの曲で。知っている曲なのに、まずイントロのアルペジオで思うんだよ、「あぁ この音楽は今わたしに向けて響いているんだ」と。 

この曲しか聴けない日々が続いた。地面が熱くて肌が痛かった。ピンクの百日紅が揺れていた。日陰はどこにもなかった。遠くで入道雲が浮かんで少し溶けていた。バスはなかなか来なかった。窓についた雨粒と外の光りが滲んだ。そして誰にも会ってはいけない気さえした夏の暑い日々は続いて、あるとき終わった。

 

あの曇った廊下

夕飯に酢豚がでた。わたしが昼間 八百屋で売られていたパイナップルを おもひでぽろぽろみたいにいい匂い で嬉しくなって、酢豚に入れたら としきりに言ったからだ。しかしでてきたのは豚も鶏もない、お肉なしの酢豚だった。わたしが買ってきたパイナップルが主役かのようにごろごろと入っていて、あとは茄子やにんじん、玉ねぎなどが炒められていた。パイナップルはすごくすごく甘かったけれど、これは酢豚じゃない。ガッカリしながら食べていると ふと父が「お婆ちゃんは酢豚が得意料理だったんだ」誰に話してるわけでもないようなボソッとした声で言うので、わたしは無視し食べ続けているとしばらくして「お婆ちゃんは酢豚が得意料理だったんだ」もう一度同じ声の大きさで父が言った。「へぇ、知らなかった」わたしも独り言みたいに返した。なんでも昔から得意料理だったらしいお婆ちゃんが、決して簡単ではない手間がかかる酢豚を一週間に3回も作った時に、父は異変に気づいたのだと言う。お婆ちゃんがボケ始めたことは憶えているが、酢豚のことはまるで憶えていない。両親が共働きだったから、ヘルパーさんが毎日のように家に来ていた。わたしも学童クラブにあずけられていたから、そこまで関わりはなかったけれど、知らない人が家にいるというのは子どもながらに不快だった。その日はどうしてもヘルパーさんが来れない日で、わたしがお婆ちゃんと一緒にいなくてはならなかった。夕方頃になるとお婆ちゃんはソワソワしだして、帰らなきゃ みたいなことを言いだしたのだ。ついに玄関から外に出て行こうとするので、仕方なくついて出たマンションの廊下は、曇っていたと思う。お婆ちゃんはわたしの言うことが全然信用できないみたいで、わたしの手をすごい力で振り払って人の家の扉を開けようとするから。どうしたらいいのか分からなくて止めるしかできなくて、それでその時 お婆ちゃんに叩かれた。それでも止めるしかできなかった。夜、帰ってきた両親に話せたんだっけ、そのこと。よく思い出せない。あの日以降お婆ちゃんが死ぬまで、どんどん悪化する症状と比例してわたしはすごくぶっきらぼうに接していたし、それを両親も良く思ってないと子どもながらに気づいていた。なのに、お葬式で最後に父が読んだ手紙の、それは本当に最後の行くらいに「本当はつらくてたまらなかったろうけれど、アユミたちは文句も言わずよくお婆ちゃんの面倒をみてくれて、ありがとう」と父が読みあげた瞬間に なぜか涙がボロボロでてきて止まらなくて 母に駆け寄ったのを鮮明に覚えている。お婆ちゃんが作った酢豚 もうもちろん食べれないし、そんなこと今更知る必要もないけれど、パイナップルは入っていたのかな。そのパイナップルも、すごく甘いのだろうか。

甘くあってほしい、そんな意味のないことを願った。

 

6月

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毎日を思う。ゆるやかな下り坂の途中にある工事現場、そこにいる特に何もしてない警備の人。その向こうの畑に挟まれた急な坂を越えると、工具が溢れている車庫にちいさな小屋があって うす汚れたくたびれた犬が水を飲んでいる(もしくは寝ている時もある)。右側には竹が生い茂りその向かいのマンションの前で枯れ葉を掃く清掃員の人。バスに乗る日は5.6駅目で乗車する眼鏡で短髪でパンツスタイルのスーツの女性、席につくとガラケーを開く。ノースフェイスの上着にマンハッタンポーテージのバッグの男性は、乗ってくる時は一人だが降りていくとき必ず友人らしき人と一緒だ。お昼になると少し歩く。小さな事務所の外玄関に大きな水槽があって そこに大きな大きな白い鯉がいる。いつもお腹を空かせているのかわたしが近づくと口をパクパクして 光りの反射で金にも白にも見える鱗とひれを見せてくれる。しゃがみ込んで軽く挨拶をして、また歩き出す。日陰のない道を歩く。最近暑くなってきた。家の扉の前に、一人で文庫本を片手に座り込む中年男性がいる。家族に邪魔にならないようになのか、少し場所を変えて読みたいのか。その家の室外機の前には 空の珈琲缶がいっぱい並んでいた。お店につくと他の商品はほとんど見ない。買う物は一緒だからだ。人がいる通路は避けて歩いて、レジで会計を済ませる。また日陰のない道を歩く。少し汗ばむ首筋を感じるころに いつもの場所についた。

「このベンチは破損しているため撤去させていただきます。」

こう記された紙が今日張られていた。今までもこれからも わたしのことを誰も見ていないし求めてないのに、でももう、わたしの居場所はどこにもないんだって思った。自分でいるとだめで我慢してもだめで努力してもまともになんかなれなくて気まずくなって言いたくないことを言ってその度自分が嫌いになって自信がなくなって言いたいことも言えなくなる。それでも毎日がある。毎日を思う。

 

Something

恋に落ちる小説を読んだり恋に落ちる映画をみたり、物語の中で恋に落ちている人々に感動するのは簡単なことだった。孤独な二人が惹かれあっていくその存在はまるで夢のように 疑う余地も無く とても美しく見えたからだ。美しいものに向かっていきたい。たとえ終わりがそうでなくても、そういう思いをいつまでも消せないでいる。

結局、それでもいつまでたっても、とにかく変わることを恐れている節がわたしにはある。人前に居るとき「今、らしくないのではないか…調子に乗ってないか…普段のわたしとかけ離れすぎていないか」という意識が頭に 全身にこびりつく。今の状態(自分が思い込んでいるだけの自分の本来の状態)から変わってしまうのが嫌だという、ただの自意識過剰って言っちゃえばそれで終わりな話だけれど。例えば、ニートから週5で働くようになって、そうすると休みの日ができるわけで、とたんに「今日のオフは何しようかな」とか心なしか楽しそうに考えたり「明日からの仕事しんどい」とか愚痴を吐いたりすることだったり。今までおかしかった部分が少し平常に近づいただけで、なにを傲慢で調子に乗っているんだ。本来の自分はこうではないしこうなってはいけない とまで思ってしまう。例えば、何か大きく影響することが少なからずあって自分では意識がないのにそれが意図せず影響していて他人から「なんか最近キャラ変わりました?」と言われたときに、すでに変わってしまっていたことに自分では気づかず、他人からの指摘で初めて変わっていることに気づくのだ。恥ずかしいことだ、もっと言えば恐ろしくもある。例えば、いきなり何も言わず姿を消し連絡がとれなくなった人にどう思われてるか想像するとき。わたしも気づかない変わってしまったわたしに、腹が立つし気持ちが悪い。

何かに縛られて、もう一生誰にも出会えない気がする。今どこにいるんだろう。そんなことをぽやぽやと考えると同時に もうなにも許されないんだな と、漠然と思う。漠然とだから何も意味を持っていない可能性もあるけれど、わたしはそんな意味もないかもしれない意識に支配されつづけて、変わることを今でも拒み続ける。

小説や映画、音楽の中の彼や彼女は、駆けだしているし踊っている。常にではないけど。今まで知らなかった自分になって 踊っている。その姿は自分が現実で感じる 変わりたくない という意識の支配を一瞬で解き放ってしまう。でもそんな魔法は刹那的で、それでまた。それで、君の悲しみも わたしの悲しみも きっと交わらなくて、それが悲しい。いつか、わたしが踊りだすようなことをしても。

(さっき言った 誰にも というのは比喩的な言葉で、誰かという名の君のことである)