日没

東京はクリームソーダの街らしい

ユースラグーン

フラッシュバックってほんとにするんだなって知った。記憶がこう。それで思うんだけど、時々 風と話したい。好きなフルーツすら答えられないから。だから今年も 夏の音をまとめました。

今しかやれないこともあるけどあの子に声かけず泣いて帰るしずっと繰り返してく一日は言葉だけじゃなにひとつつまらなくて気づいたらこのまま休み終わって セカンドサマーオブラブは失っては蘇る。今更になって発表されたMVがそれはもう最高だった。強い光、ずっと続いてく1日。

本当はおかしくなってみたかったんだ。何も咎めず怒ったり泣いたり叫んだり踊ったり。こんなに軽やかで穏やかで気持ちのいい詞とメロディなのに どうしてこんな気持ちになるんですかね。《運命の山百合 花かざりを飾ろう 日が暮れてしまうまで》この曲を何百回か聴いたあとでいつか誰かに 可笑しいね って言いながら笑ってみたいな。

なんだか悲しげな曲だと思っていると途中から引き返せないくらい温度があがってきてエモほとばしってきて感情がよく分からなくなります。このエモさと気怠さと共にここじゃない何処かへ行って そしたら、どこまでも行ける気がする。

ぐちゃぐちゃにねじ曲がった日陰の気持ちばかりな自分でも、切実で真っ直ぐで痛々しいくらいな眩しさが 日向につれだしてくれる瞬間がある。《このまま時間が止まればいいのにな ふと僕は寂しくなってしまったんだ  名前を呼ぶから こっちへ来てくれよ  涙が溢れて前が見えなくなってしまった 恥ずかしいほど君を愛してる》情けないくらい美しくて困る。

顔を両腕で覆い隠して多分泣いている女の子に、このWild Cubの曲は遠くから近くから降り注いでいて。わたしにはそんなこと無理で到底近づけなくてまるっきり違うと思いながらも、その強さと刹那に惹かれて泣けてきちゃうよ。

誰にも会ってはいけない気さえした夏の暑い日々で、毎日買っている飲み物は売り切れていたり、帰って部屋に入ったら吊してあった花は床に落ちて散らばっているし、雨上がりの夜の芝生で知らぬ間に靴が濡れて、声や言葉が消えて、夜が長く感じるなんてありきたりなことを悲しんでいた時、ラジオから流れてきたのはこの曲で。知っている曲なのに、まずイントロのアルペジオで思うんだよ、「あぁ この音楽は今わたしに向けて響いているんだ」と。 

この曲しか聴けない日々が続いた。地面が熱くて肌が痛かった。ピンクの百日紅が揺れていた。日陰はどこにもなかった。遠くで入道雲が浮かんで少し溶けていた。バスはなかなか来なかった。窓についた雨粒と外の光りが滲んだ。そして誰にも会ってはいけない気さえした夏の暑い日々は続いて、あるとき終わった。