日没

東京はクリームソーダの街らしい

luminescence

暇なのはわたしだけで青さについて語り合う人は本当は忙しい。よく知らない人とどうでもいい約束をする前に返事がこなくなる。夜中にする意味のないやりとりは突然既読がつかなくなる。友人と友人が知らぬ間に仲良くなっていて休日にパン屋の前で笑い合う写真をネットで見る。貸したCDは聴いてもらえない。久しぶりに連絡が来た友人に舞い上がって手紙を書いたのに住所が分からなくてだせない。本当に連絡をとりたい人はもう半年くらい音沙汰ないのに懲りずにわたしは写真やら言葉を送りつけている。暖まるためにいつの間にか冷えて風邪をひいた。誰かに心配されてもその優しさが鬱陶しい。直接触れられるのが苦手で、それなのに離れない。

苦手な曲がある。寂しさとかぬくもりとか そんな言葉じゃ足りない本当(それは愛かもしれない)が作りだす希望は正しすぎて、その正しさは直接、触れてくる。静かだけど穏やかじゃないし 日向なようで乾いてない。わたしはまだそういう場所を知りたくないのだ。静かなら穏やかで、日向なら乾いててほしい。漠然とした説明がつかないような風景も そこは懐かしくてここではない何処かであってほしい。あとこれはただの戯言だから正しくないことを言うけど、本当の意味で君は死んでもいいと思っていて わたしはまだ死にたくないんだと思う。説明のつく過去も永遠みたいな希望もいつか死ぬという正しさも、まだまだ苦手だ。

会ったことのない人と 会ったせいで 会えなくなるのは、とても切ない。あの子たちは薄っぺらい人間関係と会話が心地よいと言う。分かりたくない。だから夢の中でも結局誰にもなれないでわたしはわたしで泣いていた。何も発さないで生きていても言葉が届くし、メロディは優しく聴こえてしまう。好きだった音源が削除されていて あんなに好きだった歌が思い出せないなんてわたしは馬鹿みたいだ。馬鹿みたいだ。誰かいるかなと思って飴を買ったけど、誰もいなかった。