日没

東京はクリームソーダの街らしい

破れた街

夕方、新宿に向かう。いつもの靴と好きなバンドのTシャツを着て。煙草が充満している喫茶店は天井が低く感じたし、青地のベロアと思っていたソファが実際はなんてことない色のソファで落胆した。頭の後ろから聴こえる心地好い音に耳を澄ませて何かの音に似ていると感じていた。今何かに触れたり見たりすると感じる「あの頃と似ている」という感覚と、子供のころに何かを見つけて感じる「あの時と同じ」という感覚は近いようですごく遠く思える。珈琲豆の焙煎の音は、さざなみと似ていた。あれは確か去年の今くらいに行った鵠沼海岸、その時のさざなみの音。なんだって過ぎ去ったことは忘れた頃に似たような姿で現れる。それでも珈琲豆の焙煎の音がさざなみに聴こえたのは、お店に居る間最初の一回きりだった。同じ気持ちを持ち続けられなかった。また似たような気持ちに出逢うまで、1年、10年。青い看板を背に、日が暮れていく曇天の破れた街を見下ろした。