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日没

東京はクリームソーダの街らしい

言葉はいらないから海へ行くのさ

同じ景色だったり同じモノを見ているはずなのに、映しとった写真とか、感覚的に感じたことが違うっていうのは本当なんなんだろう。どこかの誰かや何かの唄では、その時それぞれ何を感じていたって同じ夕日を見ていたことに意味がある、みたいなことを言っていた気がするけど、本当にそうかな。それって本当に意味あるのかな。まぁそりゃあ、みんなバラバラだし、人ってそういうもんって分かりきってるし(そこを面白がれる人はいろいろ得してるし凄いと思うけど)そのことを思い込ませてるのがどうしても抜けない部分が自分にはあって。だからやっぱあからさまに違う見え方した写真とか言葉とか見ると少し「ウッ」ってなってしまう。なんだろうな…別に必要以上に嫌な感情が芽生えるというより…違和感だけが残って、何かその景色だったりその人だったりもしくは自分だったりを疑ってしまう。多分その時に自分を疑ったとしても、最終的に自分が折れることはほぼほぼ無いんだけど。。でも疑って変に落ち込んで、ツラくなったりする。無駄なことばっかに体力使ってる気がするよ。これが生きるってこと?着地点が見えてるのに横道に逸れたフリをして遠回りして、ゴールかと思ったら結局はさっきまで居た場所に帰ってくるんだ。堂々巡り。

 

全くたいしたコトじゃないけど絶対にどこかに書き記しておこうと思ってた忘れたくないことを、結局書き記さなかったんだけどしばらく忘れていたのに今思い出せて、やっぱり書き記したくなったから書こうと思う。

この前大学からの最寄り駅までの道を、わたしはいつも通りできるだけ同じ授業終わりの学生が通らない裏道を少し遠回りして帰っていたのです。途中住宅街を左に曲がって右に曲がってまた左に曲がってまた右に曲がって小さな橋を渡るっていうルートがあるんだけど、とある家の側面と路との間に、腰くらいまで背丈があるラベンダーが2.3メートルほど生い茂っていたんです。わたしはただ「あぁ、ラベンダーが咲いている綺麗だな」と思って見ていたわけですが、わたしの少し前を歩いていたおじさんが、体右半分くらい埋もれる勢いで、ラベンダーを撫でるようにして歩いていったんです。その姿を後ろから見ていたわたしは、何やってんだあのおじさん…と少し変に思ったのとほぼ同時に、ふわっとラベンダーの香りが風にのってやってきたのを感じたのです。そのラベンダーが生い茂った箇所を通り過ぎても、不思議と香りは続いているように感じました。多分あのおじさんにはラベンダーの香りがこべりついていて、もしかしたら帰り道の電車の中でも家に帰っても布団に入っても、ほんのりでも香っていて、何処かの誰かが「あ、ラベンダーの香りだ」なんて思うのかな…と想像していたらなんだか切なくて、胸がキュっとしたという話です。おじさん、またこっそり後ろを歩かせておくれ。何処かで。

 

“いくつになっても僕ら海へ行くのさ  海のなかへは入らないけど  言葉はいらないから海へ行くのさ  ただ眺めてるだけだけど”

uminecosoundsの「ジムニー」という曲から。『masala』というアルバムをタワレコで試聴買いしてしまったのだけど、この曲のこの歌詞がどうしても離れない。最高だと思う。。どうしたって夏がきて、そして、終わる。