日没

東京はクリームソーダの街らしい

白い風

 

ブログをまた始めようと。。

かと言って書くことも特にないのですが、短い日記をつけることも新しい手帳になってから無くなってしまい、なんとなく心にポッカリ空いたような感覚がありました。何かしら記憶を残しておきたいという気持ちはやはりあるみたいです。

ジャン=ポール・サルトルは「その日その日の印象を、小娘のように、新しい立派なノートに書くことはよそう。」と小説『嘔吐』の一文で言っていましたが、わたしは小娘なので新しいところに書きたがるのです。

飾らずに生きたいと思う。かっこつけたり、柔らかい言葉を選んだり、背伸びをした音楽を聴いたり。。いっつも苦しくなる。間に合わない。相手からの期待を裏切りたくない気持ちやギャップを埋めたいと。でもこれってよく考えればすっごい気持ち悪いことのような気がして。だから日記くらいは飾らずにぐちゃぐちゃした気持ちをそのままダラダラと書きたいし、好きなものは好きと言いたい。最近は雪の降らない東京の冬にイライラしだしたところです。一年前の成人式の大雪は、今思えば良い思い出かもしれない。近所の遊園地が会場だったのですが、一面真っ白で、ジェットコースターとかメリーゴーランドとか全部真っ白で、もう何年も前から時が止まって動いてないみたいだった。わたしは遊園地が苦手なのでその光景をとても快感に思った。雪が溶ければまたメリーゴーランドは動き出す、今日が終わればまた日常が始まる。そんなことを漠然と思ったのを思い出しました。言いたいことは雪が降って積もった光景を見たいってことなんですが。。

 

このまえ映画「ウォールフラワー」を見に行きました。

パーティーからの帰り道、夜のドライブで荷台から上半身を出して両手を広げ風を受けるサム、そしてBGMにはデヴィッド・ボウイのHeroesが流れていたのですがそのシーンの青い春感がもう。。隣に座って見ていたサラリーマンっぽい男性がそのシーンで声を殺しながら号泣し出したのが分かって、その人にも通ずる青春時代があったのかなとか、憧れや郷愁の気持ちなのかなとか考えてしまってまじでエモかった。ザ・スミスで主人公チャーリーとサムが意気投合するあたり『(500)日のサマー』を彷彿とさせるし、音楽も最高でしたね。無論わたしはそんな青春時代は送ってこなくて、友達も少なかったし、クラスでも居場所はなくてもちろん色恋ごとなんてなかったわけだけど。何故だかこういう学生時代の青春ものや恋愛ものの作品は好きになってしまう。なぜだろう。。たぶん憧れや、過去に対する執着の気持ちなんだろうなぁ。。だから隣で見ていたそんな若くもないサラリーマンの方が泣いている気持ちは、なんだか分かる気がした。

 わたしももう、21になった。