日没

東京はクリームソーダの街らしい

デイ・ゴ—・バイ

今日が何月何日なのかも分からない。手帳に予定を書き込むこともいつしかしなくなった。ネットで見かけていたとても好きな呟きをする人が居なくなって何ヶ月経ったかも忘れてしまった。坂道の向こうの踏切を越えたところにいるから、傘を持って待っているよ。 青が溶けた水溜まりで足を洗って、突然の風に髪が乱れたって手の中の花が落ちてしまったって気にしない。だって、今が何なのかも分からないんだから。

君が好きな曲をたくさんたくさん聴いた。どれも映画のエンドロールを想像してしまうような曲ばかりだった。どうしたってこの時がずっと続かないってこととか色んな瞬間が積み重なっても変わってしまう気持ちとか、そんな物思いにふけてしまう自分がいていつもほんの少しだけ哀しくなる。音楽を聴いたって写真を撮ったって何百回と気づくこと、それに気づかないふりをして何故ひたすら終わりに向かうのだろう。時間がないし時間がないし時間がない。それでも、「エンドロールには早すぎる」

最近この曲をずっと聴いています。それでは、

 

破れた街

夕方、新宿に向かう。いつもの靴と好きなバンドのTシャツを着て。煙草が充満している喫茶店は天井が低く感じたし、青地のベロアと思っていたソファが実際はなんてことない色のソファで落胆した。頭の後ろから聴こえる心地好い音に耳を澄ませて何かの音に似ていると感じていた。今何かに触れたり見たりすると感じる「あの頃と似ている」という感覚と、子供のころに何かを見つけて感じる「あの時と同じ」という感覚は近いようですごく遠く思える。珈琲豆の焙煎の音は、さざなみと似ていた。あれは確か去年の今くらいに行った鵠沼海岸、その時のさざなみの音。なんだって過ぎ去ったことは忘れた頃に似たような姿で現れる。それでも珈琲豆の焙煎の音がさざなみに聴こえたのは、お店に居る間最初の一回きりだった。同じ気持ちを持ち続けられなかった。また似たような気持ちに出逢うまで、1年、10年。青い看板を背に、日が暮れていく曇天の破れた街を見下ろした。

 

檸檬

髪からは醤油の匂いがして、布団からは焦げた太陽の香りがした。誰かの待っている姿を想像できないのはわたしがずっと待っているからだろうか。1年前に、博物館の隅のソファで聴かせてくれた曲を思い出していた。“埃たまった記憶や思い出と 長く借りっ放しのアルバムやビデオ等” という歌詞が良いと思ったので聴き終わってからその人に ここの歌詞がいいですね と伝えたのを思い出した。他の歌詞も、その人と交わした他の会話もあまり覚えていない。

表現のしようがないくらいなんの変哲もない真っ直ぐに生えた草は、手で揉むとキュウリの匂いがするからキュウリ草というんだと教えてもらった。わたしの親戚は東京だけど山奥の方に住んでいて、絵描きのおばさんのためにおじさんが草や花を摘んできたりする。棒を持ってそこらへんにいる猫(半分飼い猫)を道案内して一緒に裏山を散歩しながら。摘んできた草花は家に帰って瓶に挿して、おばさんに花の名前を伝えるんだけどすぐ忘れてしまうって笑ってた。ね。笑えるくらい、いろんなことを忘れてしまうよ。

貝殻の切手はあと数ヶ月もしたら爽やかに見えるだろう。藍色のシュガーポットやあの娘が鳥と見つめ合ったこと、お父さんはサイダーが苦手だって知らなかったし5円玉に結ばれたリボンがポケットの中で解けてしまって、それからそれから、

もしかしたら明日死んじゃうかも なんて笑いながら。

したためる

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ふた月ほどブログがあいてしまった。といってもツイッターで毎日どうでもいいことは呟いているのだがひたすら時間がある毎日を送ってそれでも何もなくて、ブログを書こうと思い立っては書けなくて人と会って喋ってはどことなく後ろ向きになるばかりの日々です。

4月5月は何も無かったけれど何をしていたんだろうと少し思い出してみる。海辺や丘や寺に行ったりしたし、音楽も聴いていたし、ライブや映画や展覧会を観に行ったり、たまに料理をしたり。あとはいつも通り喫茶店に2.3時間居座って友人に手紙を書いたり。

今日は10時くらいに起きてシャワーを浴びベランダの植木に水をあげて冷蔵庫に残っていた豚肉を炒めてご飯を食べた。そのあと冬用毛布の暖かい敷き布団のままだったので敷き布団と掛け布団を干してシーツも替えた。寝っ転がると涼しくて一気に夏休みくらいまで吹っ飛ばされた気分だった (あ、もう夏休みはこないんだった。。)夕方、TSUTAYAに行こうと思ったけれどTポイントカードの更新をしていないことに気づきお金も無かったので図書館に行くことにした。Sonic YouthPavementZAZEN BOYSがあったのでその3枚と寺山修司の詩集を2冊借りることに。ソニックユースのジャケット基本すごく好みなんですけど今日借りた『Murray Street』のジャケも最高ですね。まだ聴いてないけどブックオフとかで安かったら買って飾りたいなぁと思いました。図書館の帰りに少し散歩したら紫陽花やヒナゲシやアベリアの花が咲いたり枯れかかったりしていて美しかった。自然と歩幅が緩やかになったし耳にしていたイヤホンをなんだか外したくなるような気分にもなった。1時間くらい散歩してコンビニで紙パックのグレープフルーツジュースを買って帰った。夕飯を食べ終わった後、ベボベの日比谷ノンフィクションの中継をニコ生で途中から見ていたら中盤に「ホワイトワイライト」と「ラブ&ポップ」を演奏していて、なんだか感極まってしまった…『(WHAT IS THE) LOVE & POP?』は高1くらいにリアルタイムですごく聴いていたし、久しぶりにしかも不意に聴いたラブ&ポップはとてもくるものがあった。余韻に浸りながら珈琲を飲む。

わたしの最近の1日はだいたいこんな感じだし明日もこんな感じなんだと思う。暗くはないけど明るくもないです。あぁ、久しぶりのブログが心底どうでもいいもので自分でも驚いているけど、今回はこんなんで終わります。もっと言葉を掬いあげるようなブログはまた近いうちに書きます。日々何も無いけれど 書きたいこと、なくはないはずなので。

 

youth

昼間の陽差しがまだ仄かに残っているような街灯を、雨粒ごしのレンズで眺める。その夜に拾った椿の花を左の掌にのせて帰宅した。花弁の裏には一粒の雨露があり、零れないように消えないようにとするわたしの手は少し震えていたかもしれない。もう死んだ花の上に居座るその雫はとても凛としていたけれど、それでも一晩たって見てみると綺麗に消えてしまっていた。泣きたくても泣けない時のことを、わたしは思い出していた。

「ここにはなんでもある」と空を仰いで言った彼女の胸の音を想像してみる。まだ冷える春の夜に薄手のマフラーを巻きながら寄り添う彼と、ポケットに手を入れたままの彼女。気づけばずっとおなじ曲を聴いていた。その曲はカタカナの憶えにくいタイトルで、味気ないギターのアルペジオが鳴り続けている曲で、別れの曲で、風を感じる曲で、

やっぱり別れの曲だった。

 

Nightfever

もらった手作りの石鹸は、やっぱり使えなくて部屋の片隅にある。零れるサイダーを見つめていたら、星の呼吸が聞こえるかな。誰かからの手紙が届く時に一番気になるのは、何色のペンで言葉を書いたのかってこと。3月の日曜日、ネイビーブルー。そんな記憶、そんな匂い。

喫茶店で一杯500円くらいの珈琲を飲むことを、どうでもいいなんて言わないでよ。誰かのマネなんだけど、素敵なミルクの入れ方を教えてあげるから。珈琲の匂いで目覚める毎日を想像したいし、変な名前のメニューだって許したい。煙草臭い店内は埃だらけの本が山積みで切れかかっている電球のテーブルを見極めて席に座る。何故だろう、いつもどんな音楽が流れていたかが思い出せなくて、不思議と切なくなるね。3月の土曜日、レモンイエロー。冷めた珈琲が急によそよそしく味を変えて、酸っぱくほろ苦くなってしまうのにどうしても慣れないな。もう別れの時間だと分かっていても、まだまだ君と一緒に居たいのさ。珈琲が冷めると同時に足元が冷えていることに気づくと、向かいの膝小僧との距離が過剰に気になったりするのだけれどそれはなんだか春の訪れを待つソワソワした気持ちにどこか似ている、そんな気がした。

小さい箱の中に、見たことない顔と見たことある顔と見たくもない景色があった。それはもう逃げ場がなくてどうしようもないし、知ってる場所や知ってる人のことも思い出せない心地なんだよ。地下にある小さい箱は風も通らない、そこの景色はじわじわ混ざって熱くも寒くもない。生温いことなんて、それっぽいエンドロールなんて吐き気がする。本当に好きだったものですら知らぬ間に本当だと思えなくなるような、

わたしはなんで此処に居るんだろう。3月の日曜日。

素敵なお店は素敵な名前なように、何か名前をつけるとしたらスワンとつけよう。花を持った少年は無表情で、ただただ音楽を鳴らしていた。そこから何が見える?君は気づかないふりをしているのかな、

花はいつか枯れるってこと。

 

サリンジャー

若き日の僕は青春の日々をさすらっていた 何にもとらわれずただただ空を眺めては時間がゆっくりと過ぎていった

その中でももちろん嫌なことも悲しいこともたくさんあったが その都度雲の形や月の明かりがつくった影の姿にヒントをもらって 答えを見つけだしていた

宿題 友達との付き合い そんなもの全くうまくいかなかったけどへっちゃらだった

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困ったら一人で泣けばいいだけ 実は脆いのが旅人の性質だから

歌を聴けば思い出す 風景も匂いも人物も 今はいないし消えてしまった

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はて どこで何をしているんだろう でもだめだ 彼女もまたさすらいの果てに生きているのだ 詮索は無用なこと

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歌に救われるという感覚はさすらい人の特権である なぜなら さすらわぬ人の耳には聞こえてこないほど小さくこっそり響いているものだから

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さすらい人にもらった多くのその歌への恩は今度またいつか準備ができたら返せばいい それが夢が叶うってことの正体だ

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この言葉はThe SALOVERS古舘佑太郞さんがラジオで言っていたものだ。【第25回】古舘佑太郎 言葉の黙示録【09.02】

いつも、ふと聴きたくなる。なんでこんなにふと聴きたくなるのか不思議なくらい、何回も聴いてしまう。

“ 歌を聴けば思い出す 風景も匂いも人物も 今はいないし消えてしまった ”

“ 歌に救われるという感覚はさすらい人の特権である なぜなら さすらわぬ人の耳には聞こえてこないほど小さくこっそり響いているものだから ”

風景も匂いも人物も消えてしまったけれど、忘れたくなくてわたしは写真を撮っているのだろう。歌に救われるといういつかの感覚を、忘れたくなくてわたしは音楽を聴いているのだろう。今はただ、そう思うのです。